2018年2月11日、サンタプロジェクトの支援先の一つ、いわき育英舎にお邪魔しました。子どもたちに直接お会いし、お互いをより深く理解する機会を作っていただきましたこと、園長先生を始め施設のみなさまに深く感謝いたします。

2月に入り、児童養護施設 いわき育英舎の、指定寄付を贈った18才、3名からの手紙を受け取りました。寄付をしてくださった世田谷の皆さんへ、そう始まる3通の手紙には、感謝の言葉と、施設を旅立つ彼らの夢と、力強い決心がつづられていました。
園長先生にお礼の電話を差し上げるも、いてもたってもいられず、その週末に福島に行ってまいりました。

 三軒茶屋から高速道路を2時間半走り、いわき中央インターを降りるとのどかな田園風景が広がります。カルガモと白鳥が楽しげにたたずむ美しい川を上り、山道に入っていくと、子どもたちの暮らすいわき育英舎があります。都会暮らしの私には随分山奥に感じましたが、新しくなった平屋作りの新園舎からは、市川園長先生が笑顔でお迎えくださいました。

2011年の原発事故から7年、今でもあの時の、子どもたちの様子が忘れられないと振り返る先生。断水、停電、暖房器の故障、みんなで寄り添って小さなストーブを囲んで過ごしたあの地震直後の不安な日々。

 

「地震だけならね、まだよかったんです。放射能がね、私たちには放射能の問題があるんです。子育てがうまくできない親御さんも増えています。ネグレスト(育児放棄)ですね。どうして、こうなっちゃったのかな。でもその後、みなさんとこうしてお会いできたんですから、感謝ですよ。ありがとうございます。ずっと7年間も寄り添っていただいて。こうして園舎も新しく建ちました。さあ、ご案内しましょう」

 

新園舎は中庭を囲んだ平屋作り。年齢ごとに6~8名が暮らすグループホームとして、それぞれが独立しています。お食事もそれぞれのキッチンで作ります。施設というと大きな箱をイメージしがちですが、普通の家庭のおうちが何軒も並んでいる、という形です。

外観の写真を撮っていると、学習室から勢いよく飛び出してきた小学生低学年の子どもたちとご対面です。
「なんのお勉強してたの?」と聞くと、「宿題!」「僕は英語!」「来て来て、見せてあげる」と学習室に案内してくれました。小さな図書館のように整った環境です。コンピューターが2台ありましたが、こちらは使われてはいないようです。ああ、もったいない!きっと運用できる「人」がいないのですね。何事も、マンパワーが足りないのです。

 

いよいよこの子たちが暮らすおうちへお邪魔しました。
驚くなかれ!とてもスタイリッシュでステキなのです!

お玄関を入ってすぐのキッチンが吹き抜けになっていて解放感があり、居間のスペースで幼児さんたちが積み木で遊んでいました。右側には一段あがった和室があり、幼児さんがお布団を敷いて眠ります。左側には二人部屋が2つと一人部屋が3つ。ああ!2年前にお送りしたお布団とカバーを使っていただいています。

「嬉しいな~。懐かしいな~。このお布団はオバちゃんたちがプレゼントしたんだよ」と押しつけがましくもつい口に出てしまいましたが、「ありがとうございますっ!!」と即レスで、その子もニコっと笑ってくれました。

 

日常の暮らしのパターンをしっかり身に付けさせることを施設では大事に取り組まれていて、お布団をたたむことから子どもたちの朝が始まります。みんな片付け上手で、どのお部屋もきれいでした。洗濯は先生方がまとめてなさいますが、高学年からは自分で洗濯機を回すことを教えるそうです。それでも着るものが無くなるまでお洗濯ものをため込む子もいるとか(笑)!

 

家がいつも整っている状態は、ここで暮らす子どもにとって大切です。お家に戻った時、一人で生活を始める時のためにも環境を整えることを先生方はしっかり教えるのです。

 

リビングで子どもたちと一緒に遊んでいると、じんわり足元から暖かく、なんて気持ちいいのでしょう。太陽光発電だそうで、昼間はお日様のおかげで床暖でポカポカです。蓄電システムがないため、夜は普通の電気を使っているそうです。

「子どもたちはめっきりインドアですねえ。ゲームもしたがります。卒業した子どもたちが遊びに来てね、昔は缶けりしたり、外でばっかり遊んでいたのに…前の方がよかったんじゃない?って言うんですよ。」

ちょっと複雑な気持ちで先生のおはなしを聴きました。育英舎のある場所は、今は0.08マイクロシーベルト/hと落ち着いているけれど、それでも強風が吹いたりすると、数値が上がるそうです。「除染したってしたって、山は無理です」と先生もポツリ。

 

別れ惜しくも幼い子どもたちとさよならし、談話室に向かいます。ついにお手紙をくれた男の子と面会できる、嬉しさと緊張でドキドキです。私の娘と同じ18歳の彼は、すらっと長身でとても落ち着いた男の子。自動車免許をとるために教習所に通っています。


たくさん、たくさん、お話ししました。
皆さんにお伝えしたいのに、まだそれは叶いませんが。

最後に、質問してみました。「10万円は何に使うの?」
園長先生が横から「A君は無駄使いしないんですよ、とっておくのよねえ?」とおっしゃると、私と眼を合わせて静かに微笑むA君。
「コンピューター!?!?」と私が言うと、ウンウンと頷くA君に、園長先生がビックリのご様子。「へ~そんなこと考えてたんだね~Aも大人なんだなあ~」と、旅立つ我が子の肩に手をおく園長先生のお姿が、とても心に残っています。

二人に手を振り、車に乗りました。東京への帰り道、津波の被害があった地区をまわってみることに。


海岸には180度見える限り防波堤がつくられていました。
食堂のおばさまに津波の話をきいていると、どこから?東京からです、原発事故のことは申し訳ないと思っています。そんなことないよ、またおいでね、って。私の方が優しさをいただきました。お土産売り場のご婦人も、当時の様子を写真を出して見せてくれました

 

「東京の娘のところに避難してた時にね、いわきナンバーだったもんでいたずらされてね、悔しかったけどさ。でもたくさんの人に優しくもしてももらったのよ、ありがとね」

 

2017年のクリスマスに、皆さまからの心のこもったご寄付を福島に届けました。そしてそれ以上の愛と、沢山のありがとうの言葉をいただいた、いわき訪問でした。

 

また福島市の青葉学園や郡山市のしんぐるまざあずふぉーらむさんも訪問したいと願っています。

世田谷こども守る会事務局